石原慎太郎

2017/09/22

「私の実家の石原家は、武田武士の残党だった。武田家は(織田)信長に滅ばされて雲散霧消した。武田の赤備えというのは戦国時代有名だったそうで、武田武士を争って3つの藩が抱えたそうだ。1つは毛利藩、1つは井伊藩、もう1つは伊予藩だった。私の先祖は甲州から追われて伊予藩に抱えられたそうだ」

 「かつての時代に弓矢の武功で禄を食(は)んでおって、家の家紋は黄金分立のきかない『7つ矢』だ。珍しい家紋だ。正月に赤塗りのお膳で家族そろって雑煮を食べたりするときに、据えられたお膳に7つの紋が記されているな、と印象深く覚えている」

 「母の方の略紋は三ツ矢サイダーに似た3つの紋だったが、7つの紋はなかなか日本に珍しい家紋で、私もいわれを聞かされて子供心にプライドを持っていた。石原家の弓で勝ち取ったわが家の家訓は、『明日の戦 己はむなしと心得べし』という。これは武士の家訓としてもなかなかいい家訓だなと思った」

 「それを受けて私は討ち死に覚悟というか、本当なら引退を声明して退くべきだと思ったが、やっぱり仲間の若い武士たちのために自分も一緒に戦って、恥ずかしいことだが落選という形の討ち死にすることは 自分の1つの宿命かな、と思って決心をした。私からこの選挙についてのかかわりについて申し上げることはそれだけだ」

 「振り返ってみると、参院の全国区から始まって、衆院を25年務め、インターバルをおいて、思うところあって都知事に就任した。できるだけのことはやったつもりだ。政治家として、どの国も物書きが政治に参画、コミットするのは例がないわけではない。ゲーテとか、(フランスの)ドゴール(大統領)の文化相を務めた(アンドレ)マルローの例もある」

 「印象的だったのは激しい最初の、自民党からの優秀な人材が5、6人出た選挙で何とか都知事になったとき、縁があって日本に来られたときに2日ほどお会いして旅もした マルローなんていう人は印象的な人物だったが、アンドレ・マルローの未亡人から私に『知事になって頑張れ』という手紙をもらったのを覚えている」

 「今までのキャリアの中で歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは私にとって、政治家としても物書きとしてもありがたい、うれしい経験だったという気がする。それをもって、私が欣快(きんかい)として今、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れるな、という気でいる。1つご理解いただきたい」